(オピニオン)選べない国で 藤田孝典さん、安田菜津紀さん、工藤啓さん


朝日の記事。


 
 結婚して子供を産むのは当たり前のことなんだろうか。これが真であるとするならば、私や私の生き様(よう)が当たり前ではない、ということになる。

 自分には持続的かつ友好的かつ互恵的・双方向的な人間関係がない。湯浅誠さん的に言えば溜めがいろいろとない。恨み、妬み、嫉み、辛み、怒りの五つの溜めは充分かもしれないが(冗談だょ)。

 結婚とか子育てに至るまでの、出会う、仲良くする、セックスする:粘液を擦り併せ合うなどといった作業を、人々はなぜスルーするのかわからない。というか当たり前のように飛び越えているのだろうか。切実に謎である。

 藤田さんはBLOGOS(?)で次のような記事を書いている。

 育児や家事ができない男性と結婚してはいけない!

  育児ができるとはどういうことだろうか。子供を愛せることは必要条件だろうか。私は愛を知らない。私はとりあえず、育児も家事も、現時点では、できそうにない。そもそも私には情緒的な交流というものがわからないのだ。

 藤田さんはベストセラーとなった『下流老人』においても、人とのつながりが重要であると説いている。ハッピーな下流老人には絆があるということだ。ちなみに私のこの本への感想は、「やばいのは分かったが、どうしようもできそうにない」というものだ。 私には人とのつながりがない。つながるということがわからない。

  上の朝日の記事で、藤田さんは次のように述べており、それには同意する。

  国や自治体による社会福祉制度の情報開示は十分ではない。複雑な仕組みにもかかわらず学ぶ機会を用意せず、個々人の「申請主義」に任せて福祉の選択肢をわかりやすく示さないのは、「選択の自由」以前の問題だと思います。
 もっともな主張だと思う。というか私がそう思っているので評価するというだけのことだが。なぜ学校で実際に働く=生きていくための諸々のことが教えられないのか不思議で仕方がなかった。労働法とかも全然だよね。セックスに関しても何も教えられてないよね。女子は知らないけど。男子にこそ性教育が必要じゃないの。中絶とかなんとか聞いてても、私を見ていても。友だちもつくれない人間にそんなものはいらないかもしれないが。

 ああ肝心のところを抜き忘れていた。タイトルの部分。

  結婚して子供が生まれた時、知人から「ブルジョアじゃないと育てられないね」と言われました。非正規雇用年金問題などで将来に不安を抱える若い世代には、結婚して子供を産むという当たり前のことさえ、ぜいたくになってしまっています。

 たしかに結婚に至れるほどの親密さを築けるのはブルジョアなパーソナリティであると言わざるを得ない(曲解)。そもそも藤田さんはホームレスのおっさんとコミュれるレベルのナチュラルボーン良い人なのだ(「おっちゃん」との遭遇。贖罪として支援活動へ)。自分なら逃げる。経路を替える。そもそも断続的に人と関われないよね。

 てか一度ビッグイシューを買ったことがあるが、自分よりも真人間くさかった。つうかフツーの人だった。むろんその一時しか知らないが。自分よりも身だしなみが小綺麗だった。ホームレスのが、人目につく分、引きこもりよりも身だしなみに気を遣う気になるのかもしれない。うんこもセックスも個室だからな。引きこもりは誰よりも室内にいながら誰よりも野生化している人種であると考えて差し支えないだろう。小人閑居して不善を為す。

  そもそも男性の数は女性の数よりも多い。男女で同性愛者などの割合が同じだとしてそれを除いても当然男性の数は女性の数よりも多いままだ。男は余るようにできている。生涯未婚率が上がることはある意味精神安定剤になるかもしれないが、そんなのも社会の事情に左右されているだけであろうし、未婚イコール性的資本とそれによる果実に恵まれていないということでもなかろう。

 やはりより洗練された性教育が必要だ(もちろん受ける人たちのために)。それをしないと性的関係の変数すらもたない種族が誕生してしまいました。 0と1は大違いだが、Noneと0の方がもっとずっと大きく違う。ファッションだってコミュニケーションの領域に属する営みである。社会的包摂とかいうなら変数を存在させることからはじめなければならないだろう。私は学校で習わなかったたくさんのことでつまずいている。恐ろしいことに、勉強などある程度は独りでできてしまうのだ。

 一ヶ月前。働こう、と決意したきっかけは、じつにささいなことだった。一枚のブラウスである。吉祥寺のデパートで、小夜子は一枚のブラウスが気に入って何気なく値段を見た。一万五千八百円だった。そのとき小夜子には、その値段が高いのか安いのか、さっぱりわからなかったのである。もちろん修二のYシャツに比べれば高い、月々の家計から捻出するには高い。けれど、三十五歳の女性が身につけるものとしてはどうなのか。そもそも自分と同い年の女性にとって、ブラウスの相場とはどのくらいなのか。
 わからない、ということは思いのほかショックだった。すべてがつながっているように小夜子には思えた。母親たちのしがらみを避け公園を転々とすること、あかりが自分とそっくりにひとりで遊んでいることと、ブラウスの平均値段を知らないことは、みなつながりあっているのではないか。働きはじめれば、ブラウスの平均値段もわかるだろう、公園選びで頭を悩ませることもなくなり、尖った声であかりを叱ることも減るのではないか。働きはじめれば――それがすべての解決策のように小夜子には思えたのだった。

『対岸の彼女』 角田光代 

 もちろん同性愛とかそういう系にたいする違和感をなくす教育も必要だろう。ぶっちゃけ違和感の問題でしかないと思ってるから(違和感てでも一筋縄じゃいかないよね)、だから最初から当たり前にしちゃえばいいだけだと思ってる。ちびっ子たちにより洗練された洗脳を施せばいいだろう。その仕方はわからない。少なくとも子供たちに善人を気取らせるようなものであってはならない。そんなことをするくらいなら子どもを作る代わりにペッパーくんを量産した方がいい。

 美男美女たちによる恋愛ドラマをつくり垂れ流し洗脳することで、幼きB男B女が自らを対象外だと思ってしまうので、メロドラマの放映を憲法で禁止すべきである。 これは特撮ものにも言えることだ。昨今のヒーロー番組を見た少年たちは、ヒーローになるためにはイケメンでないとならないと学習し、落胆し、秋葉原の加藤を目指すことになるだろう。ヒーロー志望の子供たちには『ディフェンドー』以外見せてはならない。

 現在の視覚優位社会でルッキズムが促進するのはりんごが空から地面に向かって落ちるくらい自然なことであり、還元すれば非理性的なことである。容姿が良いほど利他行為の対象になりやすい。互恵的やりとりを経験しやすい。思いやりを経験しやすい。運命の果実を一緒に食べる機会に恵まれやすい。それが事実である。

 動物保護も同様だ。見た目のいい種、惹きつけられる種が優先して保護されているという。私にはそれに対して理解と共感以外できない。

 私、そしておそらく私たちはこの性質をまずは認めるべきだろう。私たちが対象の見た目に大きく左右されるのであれば、その後にどうするかを考えることはできるのだから、それをすればよい。

 ところで、こんな話もある。

新しいセックスワークの語り方―― 風俗、援デリ、ワリキリ…、同床異夢をこえて

 水嶋さんの本に「風俗嬢がお客さんを満足させる上で美醜はほとんど関係がない」といったことが書かれていましたが、これは援デリ業界でも同様の状況が確認されています。今密着で取材をしている援デリ業者の子がいるんですが、年齢は23歳で容姿もすごく可愛いんですね。
 
一方、45歳で20年以上ソープ嬢の経験がある女性というのも同時に取材をしているんですが、容姿だけを見ると体型も崩れているし結構なオバちゃんなんです。ただ、その二人のうち、どちらが多く稼ぐかというと45歳の女性なんですね。
 
23歳の子はすごいネガティブで、複数のデリヘル店で働いた経験もあるんですが、「援デリもつらいし、風俗もつらいし」といった後ろ向きな姿勢で働いてる。一方、45歳の方は容姿的には衰えてしまっているけれど、トーク力が凄い。ものすごいトークの引き出しが多いんです。しかも1プレイにかける時間を短く済ますテクニックをもっているから、本数を稼ぐし身体的負担も少ない。言ってしまえばプロなんですよね。

 この二人が提供できるものにある違いは関係の豊かさ、視覚以外の関係の豊かさではないかと思う。そして大事なのはその関係の豊かさを享受する能力が関係する人にあるのか、ないのか、という点だろう。私が理解という名の誤解をしている限りでの藤田さんのような、人と関わることに関して少なくとも閉じられてはいない人であれば、きっとこの45歳のオバちゃんとのセックスを楽しむことができるのではないか(家族関係がどうなるかは知らない)。

  肯定的に体験されるコミュニケーションというのは満たし合うやりとりだと思っている。空の瓶を差し出してそこに牛乳を入れてくださいと頼んで牛乳を入れてもらうような営みだろうと思う。その瓶(ここでは牛乳を入れる瓶)がそもそもない人は、牛乳を得ることはできないのである(必要がないとも言える)。あるいは瓶の底に穴が開いている人も満たされることはできないだろう。 瓶をぶっ壊してしまった人もいるかもしれない。コルク栓が抜けない人もいるかもしれない。散らかった心の中で行方不明になっている人もいるかもしれない。別の何かで満ちている人もいるかもしれない。

  つうか悩みとかをはき出すパターンもあるな。それっぽい比喩がわからない。光合成的な。

  もし俺が結婚するなら多夫多妻制がいい。